248: 名無しさん@おーぷん 2017/10/19(木)14:15:38 ID:1U3
私は母親に「お母さん」と呼ぶなと言われ育った。
幼稚園の卒園式後に、「もう"お母さん"やらないからお母さんと呼ぶな」と言われたのを、三十路になった今も覚えてる。
姉達もそう言われていたそうで、私が卒園した日から我が家から「お母さん」という声は消えた。母を○(名前)ちゃんと呼ぶように言われた。
とっさにお母さんと呼んでしまうと「もう"お母さん"辞めたんだから!」と不機嫌になるので、怖くて割とすぐに呼び慣れた。



ただ、外でもそうなので、他の保護者や友達の前とかではかなり恥ずかしかった。
PTAや行事なんかの保護者としての仕事はしていた。家では放置に近かったけど。
甘えた時に「こっち来ないで・くっつかないで」と突き放されたり、「好きで産んだんじゃない、(父)に土下座で頼まれたから仕方なく産んでやったんだ」みたいな事を普通の会話で言われるようになった。
「あんたは拾い子」系の冗談も何度も泣くまで言われた。
父の暴力からも守ってもくれないし、学用品購入もウンザリな口調で文句をいわれ「金食い虫」呼ばわりだった。
食事も手抜きに。親達が刺身盛り合わせ・肉・おつまみで、子供はエノキの出汁煮だけとか。
姉が既婚者と不倫をした時、中絶した時、バカみたいに応援して協力していたのを見た時は、本当に親を辞めてたんだな〜と思った。
保護者ではあったけど、親子という関係を嫌っていた。

そんなお母さんアレルギーの母が、
・叔母(母妹)の火葬直後に従姉妹達に向かって、「これからは私をお母さんだと思ってね・お母さんだと思って甘えてね」と無神経にデカい声で宣言した事
・母が発言した瞬間に、スタンド?で固定されていた葬儀用のデカい花飾りが突然バターン!と倒れた事
・そして(亡くなった叔母さんが怒った!頑張って母を祟って!)と瞬時に祈った自分に衝撃だった。

250: 名無しさん@おーぷん 2017/10/19(木)15:34:42 ID:zkg

母親が怖すぎる…
なにかあったとしかおもえないんだけど

254: 名無しさん@おーぷん 2017/10/19(木)21:22:37 ID:1U3
>>250
小学生時代から愚痴聞き役になってたから色々聞いた。
祖母は母を搾取用、叔母を愛玩用として育てて差別が激しかったらしい。
叔母には甘々だけど母だけ色々と暴力受けたり、家事は母がやらされたり、貯金取り上げられたり金銭的な搾取もされてたと。
実際、従姉妹はメタメタに愛玩して私姉妹は孫イビリされてたから納得。
そういう所からのお母さんアレルギーなんだと思う。「お母さん」=嫌な存在って。
母は姉を間違った方に愛玩、私は搾取対象にしてたから結局同じような物なんだけど。
とはいえ、母のは愛玩とは言っても、お母さん辞めてるから友達みたいな関係だったな。

引用元: ・今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 その20




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