486: 名無しさん@おーぷん 2018/02/19(月)05:51:04 ID:zsz
父親の認知症に対応していたら、私がうつ病になった。
怒鳴る・殴る、そんな父は老人ホームに入居してもすぐに退去を求められ、訪問介護の
ヘルパーにも断られた。
父を病院に連れて行った帰り、駅のホームから父を突き落として自分も電車に飛び込もうと
思った事もあった。父が傍若無人になって周りに迷惑をかけ始めたのは70歳過ぎからで、
それからは誰にも言えなかったが、私はひたすら父の死を願った。それでも父は生き続けた。
父は88歳になった時も健康で歯もほとんど残っていた。認知症の薬は全く効かなかった。
周辺症状は数年で治まると言われ続けたが、父は相変わらず怒鳴っていた。



その頃、私は父は永遠に死ななくて、私は永遠に父の事で苦しみ続けると信じていた。しかし、
それから3年後、父は誤嚥性肺炎であっという間に死んだ。死んだのが信じられなかった。
うつ病が悪化していた頃、私は「父もいつかは死ぬ」というだけでなく、あらゆる事が
信じられなかった。夏が暑くて辛かった時、秋が来て涼しくなる事さえ信じられなった。
今は、89歳の母の死を待っている。現在、母は一人暮らしでホームを姥捨て山だと拒否し、
それを勧める私を人でなしと言い、父の事では自分だけが苦労したかのように話し、
お前(私)は何もしなかった。遊んでいたと記憶を改ざんし、毎日、私を罵倒する。
認知症が進んできて、一人暮らしが不可能になりつつある。

487: 486 2018/02/19(月)05:54:36 ID:zsz
世間の人は誰でもいいから何でもいいから批判するチャンスをいつも狙っているように
感じる。父が生きていた頃から今までの間、私が疲れて親から距離を取ったり介護施設を
探していると、親の愚痴を真に受けたいろいろな人が「どんな親でも親は親」とか「あれは
病気がさせている事、あなたが幼い時、病気になったらご両親が親身に看病してくれたで
しょう?」と何も知らないのに説教にやってくる。実際の親は、愛人と結婚するために母と
離婚したかった父と、本当は離婚したいのに「子供の事を思って離婚するべきではない」と
言い続けた母で、「子供(私)が居なければ自分の人生はもっと自由だったのに」という気持ちを
態度に出していた両親だ。そのせいか両親は「自分の人生はお前の犠牲になった」「子供(私)は
親に尽くして当たり前」と何の疑いも無く言い放っていた。両親にはしっかり避妊をしておいて
もらいたかった。

馬鹿馬鹿しいと思いながら、母の罵倒を浴びながら母の相手をし、介護施設を探している。
たまに沸いてくる両親の兄弟・友人・知人等々のお説教は鬱陶しいが、彼ら・彼女らに私の力不足を
詫び、訪問介護サービスの内容や介護保険を超える場合の料金等の説明をし、今後、母の要介護度が
進んだ場合、私の介護離職の可能性や「おっしゃるような介護を実家でする」ための金銭的援助や
母の介護への具体的な協力をお願いをしてみると、彼ら・彼女らはあっさりと私への批判をとり下げ
逆に私を賛美して帰って行き、その後しばらく静かになるので、そういう人達の様子を見るのは
「見もの」というか私の娯楽の一種になっている。それでも、いつか母が死ぬなんて信じられず、
そんな事は永遠に無いような気がして、隕石とか北朝鮮の核ミサイルでも降って来てこの世の
終わりが来たら良いのになどと考えてしまう黒い今。

488: 名無しさん@おーぷん 2018/02/20(火)02:57:49 ID:Go8
黒くない、全然黒くない
それどころか今の苦労は、今後
>>486
の後の生活を薔薇色にしてこそ報われるんだと思う
例えご両親がお元気だったころにあなたを「目の中に入れても痛くない」というレベルで可愛がっていたとしてもだ
それだけ尽くしているのだから、心で何を考えようとも余計な罪悪感を持ってはならないよ

490: 名無しさん@おーぷん 2018/02/20(火)16:54:29 ID:mHq
>>486
の気持ちわかりすぎる
今の私と全く同じ
こっそり資産(雀の涙だけど)整理してたら
愛玩子の弟名義の通帳や証券が出てくる出てくる
だけど罵倒されつつ世話してるのは搾取子の私
名義だけじゃ相続できないときいたので
こっそり弁護士さんに相談するつもり
もっと早くに逃げなかった自分を責めては泣くばかりの日々
486さんが幸せな日々を取り戻せますように

引用元: ・【王様の耳は】奥様が語る黒い今【ロバの耳】





1001: 以下、おすすめ記事をお送りします: 2018年02月23日 15:49 ID:okusamakijyo